青が誘うウズベキスタン
偶然立ち寄った、みなとみらい線の日本大通り駅の横浜ユーラシア文化館で、日本とウズベキスタン外交関係樹立30周年記念として「青が誘うウズベキスタン」という写真展が開かれていたので見学してみる事にした。展示品の中には、写真50点余りと陶器や土人形などが展示されていた。
どれも美しいものばかりでため息が出るほどだった。
美術館や博物館といった場所を見学した後の楽しみの一つに、ミュージアムショップがある。
ここでもう一度、作品展の余韻に浸るのだ。
この日も帰り際にウズベキスタンの工芸品が販売されているコーナーを覗くと、小さなブローチが目に留まった。
職員さんの話によるとこのブローチは、ウズベキスタンで日本語を学ぶ教室に通う子供達が作ったものらしい。ブローチの売り上げの半額が寄付されるとの事。
私は小さなブローチを一つ一つ手に取って、絵柄を眺めた。
よく見ると、ビール瓶の王冠で粘土を型抜きしたようにも見える。知らない国で子供達が一つ一つ手作りした小さなブローチ。授業中の子供達の様子が目に浮かんできて温かい気持ちになった。
私は、ザクロの描かれたブローチを一つ手に取って会計を済ませた。ウズベキスタンでは豊かさを象徴するアイテムとしてザクロが特別な意味を持っているらしい。
ブローチはひんやりと冷たかった。
古き良き時代に思いを馳せる
横浜の街には、うっとりとするような雰囲気の洋風建築が立ち並ぶ通りがある。馬車道駅、日本大通りなどの駅近くがそれだ。
横浜に住み始めて10年以上になるのに、今頃になってあらためて街の洋風建築について知りたくなった。
私の知らない時代に、その建物はどのように使われていたのか、想像するだけでワクワクする。
赤れんが倉庫の1号館は、関東大震災で半分が失われて、今ではクリスマスマーケットや数々のイベントが開かれる広場になっている。
知ろうとしなければ決して知ることは無かったことかもしれない。
知ることは決して悪いことではない。
街の歴史を知るだけで、より一層この街に愛着がわいてくる。
晴れた日にゆっくりと散歩して、写真をとりながら歴史に浸るのも悪くない。
星乃珈琲店の昭和のプリン
昔から、少し固めで食べ応えのあるプリンが好きだ。
星乃珈琲店の昭和のプリン。
なめらかであるが、どちらかと言えば固めのプリンだ。
生クリームがちょこんと乗った可愛らしいプリン。
昭和の…と名が付くのは、昔のレシピを忠実に再現したからなのか、どうなのだろう。
以前、横浜元町のUNI coffeeで食べた超固めプリンと比べれば、今風である。
お店に流れるJAZZと店内の薄暗い照明が、これまた昭和な雰囲気を醸し出していた。
出会いを引き寄せるもの
人と人との出会いは奇跡に近い。
特にお医者様との出会いは、患者のその後の人生に大きく関わっていく。
傷跡の修正を専門にやっている病院に通いはじめて4ヶ月半が過ぎた。娘の傷跡は劇的に改善していった。
もう諦めるしか方法がないと言われて、彷徨うように病院を転々としたあの日々が嘘のように、傷跡は命を吹き返したかのように変化し、治癒していった。
先生、ありがとうございます。
あなたに出会えなければ、ずっと暗いトンネルから抜け出せずにいたでしょう。
今こうして、娘の笑顔が再び見られて嬉しい。
本当にありがとうございました。
篠原八幡大神へ
娘の厄年の厄祓いのために、車を走らせ小高い丘の上にある篠原八幡大神へ。
この神社に初めて来たのは今から10年ぐらい前のこと。
旦那さんの腎臓に影があると言われて精密検査を受けたら、癌の疑いがあると言われ、すがる思いでここに来たのだった。
幸い、癌の疑いははれて、子供の時に交通事故で損傷した腎臓の一部が影になって見えていたことがわかった。この時も、いい方向に導いてくださった。
私の目の調子が悪くなった時も、ここに来てお参りしたら雪が溶けていくように症状もゆっくりと治っていった。
そんなわけで 困難にぶち当たると私はいつもこの場所に来ていたように思う。その度に神様は、わたしを優しく導いてくれた。
娘の厄祓いは、3家族いっしょにとりおこなわれた。年配の男の人、お宮参りの赤ちゃんを連れた夫婦、そして娘。
それぞれが、それぞれの希望を胸に神主さんにお祓いしていただいた。
外は気持ちの良い秋晴れ。
清々しい秋の日…。
お疲れ様を自分に
8年半続けたフラワーアレンジメント。
今日が最後のレッスンだった。
8年半前、電車を降りたときに感じた冷たすぎる向かい風を思い出す。
悲しい出来事をかき消すように始めたフラワーアレンジ。
あの出来事がなければ、たぶん私はレッスンには通ってなかったかもしれない。
長いようで短かった8年半を、今日はずっと思い返していた。
かけがえのない時間…